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シルバーアローの由来

メルセデス・ベンツW25シルバーアロー1900年、アメリカの新聞社「ニューヨーク・ヘラルド」の社長であったゴードン・ベネットの発案により、国別対抗レース“ゴードン・ベネット・トロフィ・レース”が開催され、その際に国別で車体の色が決められ、参加した4ヶ国でアメリカは赤、ベルギーは黄、フランスは青、そしてドイツは白となり、これがその後のモータースポーツでもナショナル・カラーとして定着しました。

しかし1934年6月、ニュルブルクリンクで開催されたアイフェルレース決勝の前日、車両測定で750kgの重量規定を僅か1kgクリアできず、チームはセッティングしなおす時間も十分になく、思い悩んだメカニックたちはトレードマークであった純白の塗装を一晩でそぎ落とし、検量をクリア。決勝当日は、塗装前の姿であるアルミのまま登場し、シルバーに輝くメルセデスW25を駆ったマンフレット・フォン・ブラウヒッチュが見事、優勝。これがシルバーアローの由来となり、以降のメルセデス・ベンツのコーポレート・カラーであり、そしてドイツのナショナル・カラーとなりました。

因みにアウディ(アウトウニオン)のシルバーは“シルバー・フィッシュ”と云われ区別されています。

2007年02月20日 08:38